自分の姿は魚の食べ方に

突然、完食した秋刀魚さんですみません。

秋刀魚を頂きながら、亡き母のことを想っていました。。
我が家では、秋刀魚の食べ方をしつこくしつこく教育されました。

だから、私が秋刀魚を食べた後は見てのとおり。

この完食後の秋刀魚の姿に何を想いますか?
なんて言ってもきっと何も思わないですよね。
でも、私はこの秋刀魚をみると自分軸を思うんです。

その昔。
私、この秋刀魚にすら左右されていたんです。

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私は子供のころからずっとずっと転校生でした。
小学校時代から、1.5~2年ごとに転校していました。

そこで何が起こったか?

子どもって、残酷なんです。本当に。

たくさんたくさん苛められました。
たくさんたくさんのけ者にされました。

私も自分でもわかってました。
どうせ、ここには2年もいないって。

意味もなく、転校初日に校舎裏に呼び出されたり、
上級生から平手うちされたり。。

そのせいか、いつからか目立たないように、目立たないように。
そんなふうに生きる道を選んできました。

どうやら目立ってしまうのが私の性のようなので、
無駄な抵抗だったのかもしれません。

その期間を衝突なく通り過ぎたかった。
人と極端に深く付き合うことを避け、
高校の部活は帰宅部。
特定の親友などもあえて作らず。。

あえて、人との付き合いに一定の距離を作っていました。

だからこそですが、
数少ない、高校大学からの友人は今では本当の心友です。

もともとグループで行動するのが得意ではないので、
誰かとベッタリは苦手。
今でもそれは変わりません。


話を秋刀魚に戻すと、
目立つことを避け続けてきた私の姿は、
秋刀魚の食べ方にも表れていたのです。

秋刀魚をキレイに完食すること=恥ずかしい

そんなマインドが私の中にありました。

今思えば、
たまたま、私の周りには、
魚を食べるのが苦手・・な人が多かったんじゃないかなと。

たったこれだけのことなのに。
みんなと一緒に秋刀魚を食べたくなかったんです。
秋刀魚をペロリと骨と頭だけ残して食べる姿を見られたくなかった。

それだけじゃない。

我が家では、食事を残すことは厳禁。
お皿のうえにあるものは
責任をもって食べなくてはいけないルールがありました。
(亡き母のおかげで好き嫌いは一切なく育ちました)

だから、基本的に私はご飯を残すのが今でも苦手です。

しかし・・・
意外と多いですよね?食べもの残す人。
大人になって、友達同士で出かけたり食事にいったりすると
それは一目瞭然。

そこで何を思っていたか・・・
自分の気持ちとウラハラに、わざと食事を残していました。

今思うと・・・
なんの意味もないことに振り回されていました。

でも、これが自分軸がなかったころの私の姿。

就職先だって、目立つのが嫌だったので
大手会社の事務職希望。

そこでも、私の目立ちたくない願望は叶えられることなく。
アパレルのプレス職に配属されて
またもや、女子の世界でいじめのある毎日。
(やっぱり目立ってしまうのが私の運命なんですよね・・・)

私は、目立つことなく平々凡々と過ごしたいのになぜ?
そんなことをずーっとずーっと思いながら
泣きながら仕事にいっていました。

自分軸がないから、仕事だってなんだってうまくいかない。
子どもの頃に苛められっ子だった経験から
何か問題が起こると、目の前が真っ暗に。
学ぶ、冷静に判断するどころか、
すべてが自分のせいだと思い込んでしまう
セルフイメージの低さ。

そんな私でした。
なんて、もったいない。

大人になってから、
いろんな枠を少しずつはずして、
いろんな経験をして、
たくさん学んで、
たくさんの人に会って、

いま、自分軸を強化していくことの大切さをつくづく実感。

自分軸がぶれなくなると、
心の枠を広げることができるようになります。
たくさんの人を愛せるようになります。

はっきり言って、遅咲きです、私。

秋刀魚を食べながら、母を想い、
そんな自分を振り返った時間でしたハート

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